お彼岸あれこれ

2017-08-09

ここではお彼岸について説明しております。
*お彼岸には諸説あります。詳細はお近くの寺院までお問い合わせ下さい。

お墓参り

私達日本人はお彼岸が近づくとお墓参りに行きたくなります。その際に私達はご先祖様を思いつつ、お墓を綺麗に清め、花や線香をたむけて、手を合わせます。
今を生きる私達には親がいて、その親にはもちろん親がいます。気が遠くなるほどの昔にも私達に関係する親族がいます。そのような親子や家族、そして両性の繋がりによる長い繰り返しが歴史であり、学校で習う日本史ではそれを「鎌倉時代」や「江戸時代」といった区分をして認知出来るようにして日本文化を継承しています。
その歴史の中で生きた、私達の夥しい数の祖先のことを抽象的に「ご先祖様」と呼びます。その「ご先祖様」へのお墓参りは先人の残した知識や資産を踏襲しつつ、自身の人生の指針を再認識する機会ともいえます。言い換えれば、この広い世界の中で私達は今後のあり方やこれからの生き方を「ご先祖様」への供養を通して理解することが出来ます。

「お彼岸」という言葉

 お彼岸とは春分・秋分のお中日を中心とした前後三日間(合計7日間)を指し、先に述べたお墓参りをする期間やお坊さんにお経をあげて貰って先祖の供養をする時と考える方が多いかもしれません。インドや他の仏教国ではあまり見られない行事ですが、民俗信仰とも深く結びついていてお盆の時期に行う行事である「盂蘭盆会」や「施餓鬼会」などと共に仏教の行事の中では一番に盛んに行われています。
 ただし、仏教経典に示されている「彼岸」そのものの基本的な意味は「智慧の完成・かの方へ行く」を指しておりまして、私達が親しんでいる行事としてのお彼岸とは意味に幅があります。用例としては「迷いの世界であるこちら側からあちらの悟りの世界に到達する」という意味の「此岸」と「到彼岸」というのがあります。この「到彼岸」はインド古語「pāramitā」を意味的に漢訳した表現であり、その音写したものが「波羅蜜(はらみつ)」と表記されます。
 この到彼岸・波羅蜜(悟り)を実現するために仏教では以下の実践徳目を設けています。そしてこの六つの徳目を行うことで私達は絶え間ない感情に悩まされることがなくなります。

<六波羅蜜>
1)布施(ふせ)=他人への施しをすること
2)持戒(じかい)=戒を守り、反省すること
3)忍辱(にんにく)=耐え忍ぶこと
4)精進(しょうじん)=努力すること
5)禅定(ぜんじょう)=心を安定させること
6)智慧(ちえ)=真実を見る智慧を働かせること

 この六波羅蜜の関係性は1)~5)の項目を行うことで6)の智慧を得ることを意味していて、ここでの智慧は単純な理論的な知識を意味しているのではなく、実践的な智慧です。一説によるとこのお彼岸においてお中日以外の6日間はこの六波羅蜜を意味しています。
この修行の過程である「彼岸」と「此岸」という用語が仏教経典の文脈から転じて、日本の自然観と結びついていきます。「彼岸」と「此岸」は「あの世」と「この世」を示すようになりました。
 中でも春分の日と秋分の日は太陽から真東から出て真西に沈むので、西方浄土の考え方と習合したと考えられています。水の河と火の河を貪りと怒りに譬えて、この二つの河に挟まれた太陽の沈む一筋の白い道を仏教の説話である二河白道だと重ね合わせていました。お釈迦様と阿弥陀様の招きを信じてひたすら念仏を称えながら、死者の魂はやがて西方浄土に至るとされています。
このように仏教の修行経過を意味する用語に加え、あの世を示す言葉ともなっていきました。そしてそれはインド発祥の仏教思想・実践と日本古来の祖先信仰とが習合していったことを意味します。以上より「お彼岸」の経緯とその意味が多義的であることを説明致しました。

皇霊祭と春分・秋分の日

 以上の説明は仏教の彼岸という言葉から行事のお彼岸を説明していきました。ここでは視点を変えて国民の休日という意味でお彼岸を考えてみましょう。
私達がお彼岸にお墓参りに行きたくなりますが、そう思うのも社会人や学生などの皆様が休日を迎えるからというのもあります。そういう休みの日にはレジャーに出かけて日々の喧騒から解放されましたり、将来への自己研鑽に励まれたり、休養するため何もしなかったりと様々です。その中で何か自分自身に疑問や不安を感じ、自分の原点を知りたくなった時に故郷へお墓参りに行く人もいます。
 このお彼岸の時期には日本の暦上春分の日と秋分の日が重なっています。春分の日・秋分の日は、1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)によって制定されました。同法第2条によれば、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」ことを定められており、一方で秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことを趣旨としています。
 休日としては、1878年(明治11年)改正の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムという布告による春季皇霊祭・秋季皇霊祭から続くもので、元々は祝日ではなく皇室が儀式を行う祭日でした。この祭日としての名称は1947年(昭和22年)に廃止される休日ニ關スル件という勅令までであると記録されています。
 このように行事としてのお彼岸というのは仏教や神道といった多面的な要素を含んでいます。春分の日・秋分の日が単純な休みの日だけでなく、皇室のご公務が行われている日だと受け止めればその意味も変っていくかと思います。そしてその春分の日・秋分の日に仏教者もまたお彼岸に法要を執り行い、皆様が健やかな日々を送れるように精進しています。

お彼岸の「ぼたもち」と「おはぎ」

上に述べたように春と秋のお彼岸では少々意味が異なっています。それは単純に農業や食にも深く浸透していました。例として「ぼたもち」と「おはぎ」があります。

春のお彼岸に供える「ぼたもち」
牡丹の季節である春のお彼岸に供える「ぼたもち」は小豆の粒を春の季節にさく牡丹の花に見立ててあります。
小豆は秋に収穫され、春の彼岸の時期だと日が経っているので固い皮は捨てられて「こしあん」にされるのです。

秋のお彼岸で供える「おはぎ」
萩の季節ある秋のお彼岸に供える「おはぎ」は小豆の粒を秋の季節にさく萩の花に見立ててあります。
小豆は秋に収穫されるので、採れたてのものが使用できるので皮ごと使える「つぶあん」にされるのです。
だから、春のお彼岸の時期には「ぼたもち」、秋のお彼岸の時期には「おはぎ」というふうに使い分けが必要です。
しかし、近頃は一年中、おはぎと呼ぶ店が大半を占めています。



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