遊行寺と藤沢

東海道藤沢宿1

藤沢宿(歌川広重『東海道五十三次』より)提供 藤沢市

広重には東海道の風景を描いたシリーズがいくつもあり、このシリーズは一般に板元の名から保永堂版東海道と呼ばれています。構図の良さや着眼点が受けて広重最高傑作シリーズと呼ばれています。図は江の島一ノ鳥居を遊行寺を背景に描いたもので大鋸橋(現遊行寺橋)付近が大山詣や江の島詣の参詣者で賑わったことを示しています。

(藤沢地区ポータル「文化・歴史情報」より)


遊行寺と藤沢市

遊行寺の歴史は藤沢の歴史といっても過言ではないほど、両者は深い結びつきがあります。特に近世、門前が「藤沢宿」として発展した頃はそれが顕著でした。

例えば開山忌。行事期間中、境内では相撲や見世物小屋の興業が行なわれ、いろは坂は人が通行するのも困難なほど賑わいました。人々が老若男女問わずこの日のために藤沢に集まるため、当然、藤沢宿は宿泊客で大変な賑わいを見せました。

また、参勤交代では、大名の宿泊所として遊行寺は利用され、明治時代には天皇のお旅所ともなっています。そのつど宿の役人達は遊行寺に日参して、あれこれと協力しています。

もちろん、このような時だけではなく、日常生活においても常に遊行寺は藤沢の中心的役割を果たし、それと同時に、藤沢の人々の支えのもと遊行寺は護持されてきました。例えば、藤沢宿で不幸があれば、住民は遊行寺を頼り、遊行寺もその世話や力添えをおしまなかったのです。

藤沢の文芸と遊行寺の関わりでは、遊行寺に住していた春登上人(安永2年~天保7年)の存在が際立っています。春燈上人は富士吉田の西念寺(現・山梨県富士吉田市)の住職、京都七条にあった学寮(現在の時宗宗学林の前身)の寮主、といった経歴を持ち、遊行上人の遊行回国にもしたがっています。また、国学者として活躍し、特に万葉集の研究者として著した『万葉用字格』が有名です。和歌にも大変優れ、歌人として藤沢在住の歌人たちとたびたび歌会を開催し、その宗匠的な存在となっていたようです。

 

 

東海道遊行寺 東海道名所之内 ふちさハ 遊行寺 作者=橋本貞秀〈1863年作〉提供

藤沢市十四代将軍家茂の上洛にちなむ東海道シリーズで「上洛東海道」と言われているものの一つです。鳥瞰的な構図で遊行寺坂上から大鋸橋(現遊行寺橋)まで続く行列の長さが強調されている絵です。手前の鳥居は江の島一ノ鳥居です。遊行寺の山門は現在と異なり仁王門となっています。 (藤沢地区ポータル「文化・歴史情報」より)

現在の「遊行寺坂」は、例年1月2日と翌3日の2日間に行われる箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)のコースになっています。選手を応援する方々が沿道に詰めかける様子は、まさにこの浮世絵のようです。

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